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花巻東高等学校

 このたび本校が,花巻市宮澤記念館より書家石飛博光氏の書「宮澤賢治の最後の手紙」の芸術パネル装飾を寄贈され,校内に永く設置することになった。その取り付け工事が1月23日(月)に完了した。
 書パネルは,平成12年7月(2,000.7)に花巻市イーハトーブ館で開催された個展「 石飛博光書展『宮澤賢治の最後の手紙』 ― in 花巻 ― 」で展示された縦238×横1020の,まさに大作である。これだけの大作であり,展示する場所についても検討に検討を重ねたが,本校の教育・文化の発信地であり拠点である学習メディアセンターの廊下側壁,多目的ホールに設置することになった。
 石飛博光氏は,1941年北海道赤平町に生まれ,金子鴎亭氏に師事。東京学芸大学書道科で学び,日展においては2年連続「特選」を受賞。そのほか数々の展覧会においても受賞多数の著名な書家である。現在,日展評議員・全日本書道連盟常務理事・毎日書道会理事・創玄書道会理事長等々の要職を務める。
 さて,「宮澤賢治の最後の手紙」は,賢先生治が亡くなる10日前の昭和8年9月11日に花巻農学校時代の教え子だった柳原昌悦氏宛に送った手紙である。柳原氏は明治42年生まれで,花巻農学校入学1年後,賢治先生が学校を辞めることになったとき,ストライキを計画して賢治先生を引き止めようとしたが,賢治先生よりお前が考えているような理由で辞めるのではないと諭されたという。
 柳原氏は,のちに岩手師範学校を卒業して小学校教員となっていたが,新聞で賢治先生の死を知ると,この手紙を握ったまま駆けつけ,祭壇でそれを捧げて慟哭したという。
 なお賢治先生の命日は9月21日である。


   宮澤賢治先生の最後の手紙 より

八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。
あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。
私もお蔭で大分癒っては居りますが,どうも今度は
前とちがってラッセル音容易に除こらず,
咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり,
或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり,
仲々もう全い健康は得られそうもありません。
けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら
七八時間は何かしてゐられるやうなりました。
あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは
最早二度と出来さうもありませんがそれに代ることは
きっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。
しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。
私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,
「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。
僅かばかりの才能とか,器量とか,身分とか財産とかいふものが
何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ,
じぶんの仕事を卑しみ,同輩を嘲り,いまにどこからかじぶんを
所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ,
空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず,
幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては,
たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。
あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが,
しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい
風のなかを自由にあるけるとか
はっきりした声で何時間も話ができるとか
じぶんの兄弟のために何円か手伝えるとかいうようなことは
できないものから見れば神の業にも均しいものです。
そんなことはもう人間の当然の権利だなどというような考えでは,
本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。
楽しみは楽しみ,
苦しまなければならないものは苦しんで
生きていきましょう。
いろいろ生意気なことを書きました。
病苦に免じて赦して下さい。
それでも今年は心配したやうでなしに
作もよくて実にお互心強いではありませんか。
また書きます。


右より   正面より
右側より   正面より



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